誰かの喜びが、

自分の喜びに。 

――夏木マリ


70年代のこと。6月に再デビューが決まり、芸名は「夏に決まり」で「夏木マリ」だと事務所に言われ、呆気にとられた夏木マリさん。それから約半世紀、長いキャリアを歩んできました。表現者として表舞台に立ち、支援活動も行うなかで、探り当てた自らの幸せの信条を見つめます。



「『印象派』は私の基本」

 

舞台の面白さに目覚めてのめり込んだ結果、身体表現『印象派』をスタートさせました。それは、今振り返るとアーティスト人生で大きな転換期だったと言えます。


『印象派』は1993年に始めた私の作品で、自分が今、存在するのは『印象派』のおかげだと思っています。仕事に夢中になって走ってきたあるとき、私には子どもを持つチャンスが訪れなかったと気づきました。それで、『印象派』に賭けようと思ったのが40代。そこから熱狂的にこの作品に取り組んでいます。


それ程までに引き込まれている、舞台の素晴らしさとは?


空っぽの空間に私たちが、ただ上手(かみて)から下手へ移動するだけで、お客様が感動する。そんな表現者になりたいし、それが『印象派』のベースです。当初のアイデアから不要なものを削ぎ落とし、身体一つで表現することにしたら、日常生活にも無駄がたくさんあることに気づきました。たとえば、以前はフルメイクをしないと外出できないと思い込んでいたけれど、あるとき髪を振り乱して踊っている姿が鏡に映ったら、「いい、この顔、素顔でも」と。自分らしさが出てきたと思いました。教えられることの多い『印象派』は、私の基本です。




「子どもの学習の場がないと、バトンを渡せない」

 

パートナーの斉藤ノヴさん(パーカッショニスト・音楽プロデューサー)と出会って、少しずつ始めていた途上国の子どもたちの支援を、協力して進めていくことになりました。それが現在の『One of Love プロジェクト』につながっています。


私が彼と付き合い始めた頃に、途上国の子どもたちをサポートしているという話をしたら、一緒に音楽を届ける旅をしようと提案してくれて実行に移しました。届けるなんて今思うとおこがましい考え方ですが、彼の楽器と私の歌が途上国の人々と出会って、始まったのが『One of Love プロジェクト』です。私たちが彼らに寄り添っているのは、人の成長にとって学ぶことは不可欠で、子どもたちに学習の場がないと、大人が次にバトンを渡せなくなってしまうでしょう? でも環境として彼らは学ぶよりも、働くことを優先せざるを得ないのが残念で。




労働する目的が一つだけでは、人としてなかなか夢を持ちづらい状況です。


私たちには働く喜びがあります。そういう環境を途上国の子どもたちやシングルマザーの人たちと共有したくて、動きたいと思いました。私たちのサポートが彼らの力になって、子どもたちの喜ぶ顔を見ていると、私もすごく幸せ。究極は、誰かに喜んでもらうことは自分の喜びであり、自分が幸せになることなんです。



「幸福とは発見です」

 

何事も無理せずできることをやっていく。自然体で自分らしい生き方をする夏木さんの幸福は、どこにあるのでしょうか。


私はよく「自分スタンダードをつくりなさい」と言っています。そうすると自信が湧いてきて、自分のことも愛せるようになってくるはず。考えてみると、幸福って発見なんです。たとえば「こんな美味しいご飯があるのね」とか、「彼にはこんな素敵なところがあったんだ」とか、知らないことを発見するのはとても嬉しい。私は歳を重ねてどんどん子どもに返っている感覚ですが、日々そういう子どもみたいな発見のあることが、今すごく幸せです。


夏木マリが持つFW21ハンモックバッグとアクセサリー


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FW21 ハンモックコレクションとプロサーファー松田詩野、俳優本田翼のストーリーを読む。

本田翼
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